

小笠原青年の旅2024
旅の日程
2024年 9月20日(金)〜9月25日(水)
東京教区青年会チャプレン 執事 福永澄
9月20〜25日に、「小笠原プロジェクト2024」が行われました。小笠原諸島で唯一のキリスト教会である小笠原生ジョージ教会を訪ね、歴史の流れに翻弄されながらも信仰を守り続けた人々、新たに移住た人々、そして世界自然遺産にも登録さている大自然と出会う旅です。今年は東京教区の青年たちに加えて他教区のからも参加者を得て、総勢16人での旅となりました。以下に青年たちから寄せられた声をお届けします。最後にこの旅を支えてくださった皆様に心より感謝いたします。
今回小笠原プロジェクトに参加して、初めての場所で初めての経験をしたり久しぶりに同年代のクリスチャンとコミュニケーションを取れたりして、人生経験として非常に有意義なものを得られた。出発するまでは楽しめるか上手くやれるかなどの不安でいっぱいだったけど、無事営られた今は参加できてとても良かったと思う。

今回の旅では、新しい仲間と出会い、対話し、共感や新しい気づきを得る時間になりました。小笠原の偉大な自然とそこで生活している人々に囲まれた環境が、特にこれからの信仰や周礼について、安心して悩み、共有することができる機会を与えてくれたと思います。このような機会をくださった、多くの方々と神様に感謝します。
参加者の声

今回の小笠原の旅は自分がクリスチャンとして聖ジョージ教会のために何ができるのか、そんなことを考えさせられる旅でした。刻一刻と流れる時の中で、学ぶだけではなく主体的に何かをすること。その何かをこれから探していきたいと強く感じました。これまで祈り支えてくださった全ての皆さんに感謝すると共に、今後もこの小笠原への働きが皆さんの心のどこかに留まり続けてくださいますように。


今回の小笠原プロジェクトに参加したことは、都会の喧騒から離れた場所で礼拝を捧げることなどを通して自分自身のキリスト教への向き合い方を再考する良い機会となりました。特に、自分や自分の周囲にいる人々とは出自や考え方の異なる参加者からの話を聞くことは、私の宗教一般に対する見方を相対化する助けとなりました。

「小笠原プロジェクト2024」を通して私は小笠原・父島を自転車で一周しました。陽は肌に染み込み、山を自転車でなぞり、海に圧倒された感覚は忘れられません。そして島民のかたに聞いたお話も私のこれからの信仰生活、将来への自信へとつながりました。この頂いた糧を持って日本聖公会の青年たちとより交流を深くしていきたいと思います。

一日かけて辿りついた小笠原には、教会があった。賛美があった。涙と笑顔があった。一人だけど独りでないこと。そばに仲間がいること。主が傍におられること。日が沈み、そしてまた日が昇ること。そのすべてが、ありがたかった。この小笠原への旅をお支えくださったすべての方に、心から感謝いたします。
小笠原プロジェクトで印象に残ったことは二つあります。一つ目は小笠原の歴史と教会です。セーボレーさんのお話から、複雑な苦難の歴史を学びました。ここから歴史や社会に対して、さまざまな考えや思いを巡らせました。二つ目は自然です。景観の美しさや雰囲気は言葉でや写真では表せません。体験が何事も超える理解でした。


6日間他教区、他教会の方々と過ごしたことで、普段狭いコミュニティの中にいる分、ある種のカルチャー・ショックのようなものを受けましたが、非常に楽しく興味深い経験となりました。今後もこのプロジェクトが続いていくと、きっと何か大きなことを成し遂げられるのではないかと思えるような時間でした。
個性豊かであたたかい仲間と過ごした6日間。日々の思考を止め、今感じたことを大切にすることで、自分が神様の御手の中で守られていることを思い起こしました。これからもこも旅が続き、小笠原という存在が一人でも多くの青年の中に含まれくことを祈ります。お支えを、ありがとうございました。


小笠原プロジェクトで過ごした6日間は、人生で一番濃い時間となりました。言葉では形容し難いくらいの美しい自然、人々の深い愛情、神様のお恵みに触れ、神様への信仰心が深くなり、仲間とすごくことで、他者のことを常に思うようになり、人間として成長できたと思います。この旅を支えてくださった皆様に感謝いたします。

人生最南端。カラッとした日差し。澄んだ海と白い砂浜。ガジュマルやヤシの木々。そこで出会うキリスト教の文化、暖かな島の人々。個性的な仲間とのアクティブな日々。喧騒から離れ、空を愉しむ。私達の夏、いや、人生に於いても鮮烈な思い出を与えてくださったことに感謝します。
小笠原での仲間たちとの生活は、ずっと美しいものを美しいと感じることができた時間でした。いつも最高の気分だったという意味ではありません。あまりにも多くのことを体験しますから、心が驚いたり、疲れ切ってしまったりもします。しかし、そんな時でも何かを見聞きして、それを優しく感じ取ることができる場所でした。
